物語の終盤、クモの城でテルーがアレンにセリアドの剣を渡す場面。
――なんで?
ここが理解できないのです…。
「いのちを大切にしない奴なんか大嫌いだ」
人狩りから自分を助けてくれたアレンに向かってテルーはこう叫んだ。
そんな彼女が、ゲドとテナー――たいせつなものを守るために剣を取れと言う。
確かに剣は傷つけるためにも、守るためにも、それぞれの理由があって振るわれるもの
だけれど、テルーがそれを進めるのは…何か違うと思う。
それならもっと葛藤があってもいいんじゃないかと。
アレンはアレンで剣を抜いているし。
しかも抜き身の剣を最後まで手放さない。
そしてドラゴラムなテルー。
結局クモを焼き殺してしまった…あれはもう救いようがないから?
炎で浄化してあげたのだろうか。
分からない…。
映画をご覧になった方々はどんな風に解釈なさっているのだろう。
あとであちこち覗いてみよう。
他にも突っ込み所めちゃくちゃある…映画を観る限りでは、アレンが王子である必要なんて
まったくない、とか、ゲドはもっと色黒なんでないかい?とか、アレンとテルーが打ち解ける
の早すぎるだろ、とか、そもそも王様って死んでないんとちゃうん?とか。
でも全部突っ込むのはしんどいので、心の中だけで「なんでやねん!」とつぶやいておく。
キャスティングは全員はまっていたと思う。
中でも…クモ。
最初は「何で女性声?」と思ったが、だんだん田中祐子氏の声がクモそのものに聞こえて
きた。ほんとうまいわ、この人。
「…コワイ…コワイ…」とか「死んだ…カワイソウ、カワイソウ…」なんて、もう本気で
鳥肌立ったもの。
一番好きなシーンは「食事の後、ゲドが自分で椀を洗う」ところ。
地味ですな。
だが、ここがいいのですよ。
このシーンは原作4巻にもあるのですがね、ああ、ハイタカだなぁって…原作ファンとして
嬉しかった。
彼を見つめるテナーの表情がまたいいんだ、これが。
テルーの唄もよかった。
手嶌嬢の声が切ない歌詞とぴったり合っていて、ほろりときてしまいそうだった。
でも泣かなかったよ。
この映画は3巻と4巻を中心にしてまとめられているけれど、どうせ映画化するなら2巻が
よかったなぁ。
初めて2巻を読み終えた時、その後の二人を妄想しまくったっけ…。
実は私――ハイタカ×テナーよりもハイタカ×アルハが好きなのです。
アチュアン脱出後、二人はソッコーでくっつくと思っていたのに…。
4巻の内容には多大な衝撃を受けた高2の秋。
でもまあ、5巻では二人ともそれなりに幸せそうだったからいいけど。
うわあああ、2巻が無性に読みたくなってきたー。
買おうかな。