12年です。
毎年この日になると「もうそんなになるんかぁ」と思いますね。
12年か…。
それでもあの日の記憶はいまだ鮮明です。
地響きで目覚めた瞬間も、倒れかかってきたタンスの重さも、暗闇の中で自室に閉じこめ
られた恐怖感も、両親の呼び声も、すべて憶えています。
我が家も含め、近隣の住宅はほとんど半壊。庭先に散らばる屋根瓦。崩れたブロック塀。
いつまでも床に残るガラス片。テレビもラジオも電話も使えず、情報は遮断。
向かいの叔母の家が居住不可能な状態なので我が家に避難。三人家族が一気に七人の
大所帯に。
一週間ほどは余震に怯え、夜は眠れず、いつでも逃げ出せるように服を着たまま座椅子に
座り、毛布を被って夜明けを待った。暖房がなくとも寒さは感じなかった。
食べるものは全てインスタント。日清の「細打ち名人」が意外に美味かった。
報道関係のヘリが上空を何度も旋回し、そのたびに屋根から瓦が落ちていく。爆音に
怯える母の泣き声がたまらず、××新聞社へ公衆電話から抗議。あっさり「△△テレビの
ヘリですから」と返される。何とも形容しがたい感情がこみ上げ、屋根に上り、旋回を続ける
ヘリへ向かって「敵機発見!」と叫びながら竹馬を振り回した。本気で打ち落としてやる
つもりだった。隣家のおっちゃんに取り押さえられなければ落とすまで止めなかったと思う。
我が家は半壊なのに、隣町の友人宅では食器棚が揺れて茶碗が二個割れただけだと
聞き、理不尽ぢゃと友人に跳び蹴りを食らわしたことも、これで英検受けずにすんだと、
内心でちょっぴり安堵したことも、屋根を覆うためのブルーシートを借りに市役所へ
行った時、何故か、特殊工作員の仕事みたいや、なんて従兄弟達とわくわくしたことも、
みんなみんな憶えています。
何年経っても忘れないようにと言われたけれど、忘れないよ。
忘れられないよ、こんなこと。
絶対忘れたりせえへん。
と、決意を改めたところで。
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