おずおずと呼びかけられて。
近衛隊長の副官は、舌打ちしたい衝動を堪え、足を止めた。
ったくどいつもこいつもこのクソ忙しい時に足止めしやがっておれは他人に構ってる暇は
ないってんだよ――
内心では思い切り毒づいて、
「――何か?」
“ひとの良さそうな”と同年代のメイドたちから絶賛される笑顔で振り返った。
「はい。あの。副官殿は」
ぴんと伸ばした背筋に不釣り合いな、自信のなさそうな声で答えたのは、見覚えのない
衛兵だった。
まだあどけなさの残る顔立ちに、襟元や腰のだぶついた制服。見るからに新人の彼は、
緊張と怯えの混ざった口調で言った。
「こ、近衛隊長殿の居場所をご存じではありませんか?」
「は?」
居場所って。
「図書室で執務中だろう」
近衛隊長の執務室は、先日ちょっとした事故で壊滅し、現在修復作業中だ。
作業が終了するまでは、臨時の執務室として図書室に間借りしている。
それが。
「いらっしゃらないんです」
「居ない?」
「机の上に書き置きがありました。“骨休め中につき、ご用の方は副官まで”と」
「な――」
謎が解けた。
道理で誰も彼もが自分を呼び止め、近衛隊長への用事を言付けていくわけだ。
その結果が――小脇に抱えた書類の束で。
――やられた。
面倒事は何もかも押し付ける気か。
「……あんの野郎」
途端、新人君はぎょっとした。一歩、二歩と後ずさりしつつ「すみませんすみませんっ」と
頭を下げる。
「あのこれ、再来月の合同演習の日程案とうちの隊の参加者名簿なんですけど」
と、手元の束をばさばさ揺らしながら、
「日程案に近衛隊長の決済印を頂いて、うちの隊長へ提出しなければいけないんです。
でも自分には訓練の時間が迫っていて……とにかく早く決済して頂かないと困るんですう」
涙目で訴えられた。
そこまでビビられるほど今の自分は凶悪な面構えなのか、とヘコみそうになったが、
ただ訓練に遅刻しそうで困っているだけなのかもしれないと思い直し、
「わかった」
新人君の手から紙束を引き抜く。
「え。あれ?」
きょとんと瞬きする新人君に「任せろ」と力強く頷いてやりさえする。
「おれが責任を持ってサボリ隊長に渡してやるから、心置きなくお前は訓練に励んでこい」
「は、はいっ。ありがとうございます!」
言うなり背中を向けたかと思うと、ものすごい勢いで走り去る新人君。
遠ざかる姿に「がんばれよー」と声をかけてやったものの。
「……あーあ」
右手の紙束を見下ろして、ため息。
受け取っちゃったよ。
もともと左脇に抱えていた束に、右手の紙束を加える。
成り行きではあるが、またひとつ仕事を増やしてしまった。
肝心の上司は行方知れずだというのに。
――骨休め中だと?
どこにとんずらしやがった。
とりあえず手近な石像に身を隠す。これ以上、近衛隊長に用のある者に呼び止められては
適わないからだ。
懐中時計を取り出して時刻を確認。
そして真っ先に考えたことは。
――姫様は……ご公務中か。
ならば一緒に居る確率は少ないと判断する。
お互いに激務を抱える恋人達は少しでも時間を作って共に過ごしたがるが、公務中だと
そうはいかない。
だとすると。
――この時間帯なら。
あっさりと結論が出た。
トロデーン城というか近衛隊長の日常話みたいなものを書こうとしたらしいです。