積み荷の一覧表にざっと目を通し、抜けがないことを確認する。
次に、添付してある見積価格の確認作業へ――
「クラビウス」
――移る前に。
エルトリオは、部屋の片隅で本を開いている弟へ声をかけた。
「はい、兄上」
ページを繰る手を止めて、顔を上げるクラビウス。
「……面白いか、その本?」
「はい。とても」
「だったら」
びし、と人差し指を突きつけて、
「もっと楽しそうな顔をしろ」
「は」
クラビウスはぱちぱちと目をしばたたいた。眉間にしわを寄せたまま。
そう。問題は。
「それ。その眉間。せめて面白い本を読んでいる間くらい、その眉間のしわを何とかしろ」
「寄っていますか、しわ」
「寄っているというか、もはや刻まれているという感じだぞ」
「と仰られても。私はこれが常態ですから」
「常態って。今からそんなことでどうする」
「別にどうもしませんが」
「危機感の足りない奴だな、お前は」
「いったい兄上は私の何を危ぶんでおられるのか」
「そんなぎっちりしわを刻んだ弟が、二十年後にはすこぶる目つきの悪いオヤジに進化を
遂げてしまうことを大いに危ぶんでいるのだ!」
「…………あにうえ」
「ただでさえ性格が可愛くないのに、この上、顔つきまで可愛げがなくなったら」
「兄上」
「眼力ばかり強くなって邪眼の持ち主とか言われて民衆に恐れられて」
「兄上っ」
「婦女子にモテなくなって結果的に一生独身王族を貫くことに――…何だ」
「手が止まっていますよ」
ぱふん、と本を閉じ、
「見積もりの確認はお済みですか?」
クラビウスは眉間のしわを深くして、兄を真っ直ぐ見据えた。
「いや、まだだ」
しれっと返す兄。
「…………」
邪眼ばりに睨みつける弟。
「だからな。そんな風に世の中の全てを呪っているような顔で傍に居られると、恐ろしくて
計算もできやしないと言っているんだ」
「……私がこんな可愛げのない顔になってしまったのは、多分に兄上のせいですよ」
「おお、ここでまさかの責任転嫁か」
「呑気な兄を持つと、弟は苦労するものです」
「優秀な弟を持つと、兄は楽ができるのさ」
「兄上」
「ん?」
「見積もりの確認を」
「そもそもお前は何故ここに居る?」
「決まっているでしょう。兄上が脱走しないためです」
「脱走? 昨日のことを言っているのなら、あれはちょっと息抜きに城下へ出ただけだぞ」
「ちょっと? 息抜き? 仕事を放って夜半まで帰らないことの何が息抜きですか」
「いやあ」
エルトリオは、どこか遠くを見つめるようなまなざしで、
「パンが旨かったからなあ……」
「パンが旨かったから帰らないとは、どんな理屈ですかっ」
「それがな。息抜きに城下を散歩していたら、とあるパン屋で特売をしていてな、ちょうど
小腹も空いていたことだし、丸パンをひとつ買ってみたんだ。これが大変に旨かった」
その味を反芻するかのように、うっとりと目を細めて、
「聞けば、その店ではベルガラックのレストランにもパンを卸しているというではないか」
「……余計なことを」
「それで、ディナーをベルガラックで済ませて、帰ろうとしたら」
「まだ何か?」
「カジノのスロットが新台を入荷したそうで、試しに一発打ってみた」
「どうして大人しくパンだけ食べて帰れないんですか、あなたは!」
思わず、クラビウスは手にした本を振りかぶる。
その角が額を直撃する直前、鮮やかな白羽取りで対応するエルトリオ。
にやりと笑い、
「分かってないなあ、クラビウス」
「分かりません。分かりたくもありません」
二人は同時に手を引っ込めた。
「兄上の思考を理解した瞬間、私は私でなくなるような気がしますので」
「カタイっ! カタイぞ、クラビウス!」
「兄上が軽すぎるのです!」
「いいや。お前はもっと肩の力を抜け。王族だからといって気張ることはないのだ」
「別に、私は気張ってなどいません」
「そのような台詞は――」
エルトリオは、いきなり身を乗り出すと、
「――このしわを何とかしてから言うのだな!」
両手の親指で、弟の眉間をぐりぐり押さえつけた。
「いたたたっ。ちょっと、兄上っ!」
「お前には、私が適当な人間に見えるのかもしれないが」
「……兄上?」
不意に手を下ろした兄を、弟は不思議そうに見上げた。
「あの」
一瞬の沈黙の後、
「実はそうなのだ。悪かったな」
軽く肩を叩かれて、クラビウスは、かく、とよろけた。
「と、とにかく、見積もりの確認だけは、今日中にきっちりしておいて下さいよ」
「任せろ。私は計算も得意だ」
親指を立てて、胸を張るエルトリオ。
「はいはい」
クラビウスは、いつの間にか絨毯の上に落ちていた本を拾い上げて、
「息抜きもたまにはいいですが、後になって私に仕事を押しつけることのなきよう」
「ああ、分かった分かった」
「……お願いしますよ、本当に」
ぶつぶつ言いながら弟が部屋を出て行くと、エルトリオは椅子に背中を深く預け。
ため息を、ひとつ。
「分かっていないな、弟よ」
ぽつりと呟き、薄く笑う。
私は。ただ――
「ただ――息苦しいだけなんだ」