ゆったりと漂う紅茶の湯気。焼き菓子の甘い香りがほんのり。
――今なら、聞けるかな。
女の子二人だけの、穏やかな時間。
今なら――訊いてみても、いいんじゃないかな。
「あの。……ミーティア姫っ」
呼ばれて、
「はい」
彼女はそっとカップを受け皿に戻した。優雅な仕草で。音を立てずに。
――あ。
お姫様だ。
「――…」
思わず見取れた。
「何ですか?」
彼女がちょこんと小首を傾げると、長い髪のひと房が、肩の上をさらりと流れた。
やや上目遣いでこちらを促すその様子は、少しばかりの好奇心と持ち前の無邪気さが
相まって、とても可憐だった。
「ゼシカさん?」
女の自分が魅入ってしまうほどだ。“あの”エイトがめろめろになるのも分かる気がする。
「ゼシカさんってば」
「え」
「え、じゃありませんよ。何かわたしに言いかけてらしたでしょう」
「――あ、ああ、うん。ええっと。そうだ。前からずっと気になっていたんだけど」
「はい」
そっと。押し出すように。
「エイトのこと、どうして好きになったの?」
ずっと――ずっと、気になっていた。
誰かを好きになる。
それは、どうして――?
「いつから好きだったの?」
どんな理由で。
何がきっかけをにして、その人を好きだと思えたの――?
「ミーティア姫は、エイトとずっと一緒にいたんでしょ」
幼い頃からずっと。
友だち同士のように育ってきて。
時には、兄のように。妹のように。弟のように。姉のように。
家族のように。
主として。従者として。
つかず、離れず。
だったら。
恋が芽生える瞬間。
それを恋だと認識するタイミング。
それは、いつ――?
「ねえ」
自分には分からない――知らない感情を、この姫君は知っているから。
「教えてよ」
ミーティアは、
「どうしてって……」
大きな深緑の瞳をくるりと見開いた。
「いつから、と訊かれても――」
困りましたね、と、眉を下げて微笑んだ。
「――そんなことは考えたことがありませんもの」
「なら、考えてみてよ」
「今ですか」
「うん。今」
「そうですねえ……」
ふ、とため息をこぼして。
俯いた拍子に肩から流れ落ちた髪を耳の後ろへかき上げて。
そのまま、姫君は視線を虚空へさまよわせた。
ゼシカはじっと待つ。
「どうして……いつ……どうして……?」
ぶつぶつとミーティアは繰り返していたが、やがて片手を口元に押し当て、瞳を閉じた。
しばらくして。
細い身体がどんどん前傾姿勢になり、眉間にも、この姫君らしからぬ皺が刻まれ始めた。
「うーん……」
苦しげに唸り出しさえする。
「って、ちょっとミーティア姫っ!」
尋常ではない様子に、ゼシカは慌てた。わたわたとテーブルをまわり、ミーティアの身体を
抱え起こす。
「なんなのよっ。そんなに考え込むようなことなの!?」
「……ですから」
うっすらとミーティアは瞳を開けて。
「考えたことがないと、言いましたでしょう」
「え?」
「考えることではないんです。答えなんて出ないのよ」
「で、でも、そんなの……。理由もなく人を好きになるってわけじゃないでしょう」
「あのひとは優しいから、とか、わたしを一番に想ってくれているから、とか?」
「そうそう。そういうの」
「だけど、理由は全部後付けです」
「後付け?」
だって、と、姫君は花が綻ぶように微笑んだ。
「気付いたときには、もう好きだったんですもの」
だから。
「理由なんて考えられません」
「そういう、ものなの……?」
ゼシカさん、ゼシカさん。
ぽんぽん、と。
優しく膝をたたかれる。
「こういうことはね」
――考えることじゃない……?
「理屈じゃないんですよ」
ああ。
そうだとしたら。
わたしは、いつになったら“それ”を知ることができるんだろう――。
微笑むだけで、親友の姫君は語ることなく。
漂う紅茶の湯気は薄れ、焼き菓子の甘い香りも消え去っていた。